LOCAL REPUBLIC AWARD 2019
最終公開審査会結果

最優秀賞

宿の運営や町歩きで半島の外の人々と地元をつなぐローカル出版社

  • 真鶴出版 / 川口 瞬、來住 友美
  • トミトアーキテクチャ / 冨永 美保、伊藤孝仁

優秀賞

職住一体型の賃貸アパートで小さな経済が回るコミュニティをつくりだすプロジェクト

  • つばめ舎建築設計 / 永井雅子 根岸龍介 若林拓哉
  • スタジオ伝伝 / 藤沢百合
  • 佳那栄商事

ものづくり拠点などの開発と地域資源のネットワークによりまち全体をクリエイティブな環境にアップデートする取り組み

  • 株式会社@カマタ / 茨田 禎之、松田 和久、連 勇太朗、石井大吾、川瀬英嗣、宮地洋

審査員特別賞
山本理顕賞

暮らしながらパフォーマンスやイベントを行い、地域に家を開いていく取り組み

  • 家劇場/カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社 / 緒方彩乃
  • KAJIMA DESIGN / 小笠舞穂

北山恒賞

住居と宿を併設させ、町家での居住と活用を両立する仕組みをデザインする取り組み

  • 株式会社ワンブロック / 辻本祐介
  • 殿井建築設計事務所 / 芦田奈緒・殿井環
  • SATOSHI KAWAKAMI ARCHITECTS / 川上聡

陣内秀信賞

伝統食「あぶり」の商品化を目指し、地域内外の人々の交流のもと加工場を手作りするプロジェクト

  • 多田正治アトリエ / 多田正治
  • 梶賀町
  • 尾鷲市地域おこし協力隊 / 浅田克哉

ジョン・ムーア賞

中国・大山村の限界集落(空巢村)を滞在型宿泊施設により再生するプロジェクト

  • 株式会社小大建築設計事務所 / 小嶋伸也、小嶋綾香、北上紘太郎、趙彦、胡志德

広井良典賞

住宅新築と空家・空地の利活用の並行により、郊外戸建て団地に新たな価値を付加していく取り組み

  • kurosawa kawara-ten
  • 拡張設計

中野善壽賞

150年続くみそ蔵にて、発酵文化の継承活動「食の体験」と、蔵の一角の「共創」を行う取り組み

  • 五味醤油 / 五味仁+洋子(発酵兄妹)
  • AKITOCOFFEE / 丹澤亜希斗

佳作

新幹線開通でできた駅前の更地にコンテナを設置して形成されていく商店街

  • (株)北信越地域資源研究所 / 平原匡
  • ナカノデザイン一級建築士事務所 / 中野一敏
  • 黒川哲志

ベーカリーやコミュニティスペース、コワーキングオフィスを併設したローカリティを育む集合住宅

  • 駒田建築設計事務所 / 駒田剛司・駒田由香
  • やどり木 / 深澤浩司・深澤玲子・駒田由香
  • ゴンノベーカリーマーケット / 権野亮介

地域拠点に〈人・場所・ノウハウ〉が集まり、小さな起業によって変化していく学生街

  • フーシャアーキテクチャ / 望田 祈、浅井 駿平
  • 近畿大学大学院 / 森下 啓太朗
  • 大阪市立大学大学院 / 松浦 遼
  • リノベる / 永田 大樹
  • あきばこ家

やきもののまちの風景と営みと精神を、継承し創造するための様々な取り組み

  • 水野太史建築設計事務所 / 水野太史、今井一貴
  • 株式会社水野製陶園 / 水野吉興
  • café TSUNE ZUNE / 河合忍、Design IROHA / 河合秀尚

講評

山本理顕
(審査員特別賞は各審査員執筆)

第二回「LOCAL REPUBLIC AWARD」の最終審査は実質的に二つの作品の間で最優秀賞が争われた。
<「欅の音terrace」"ナリワイ×暮らし" がつくりだす現代版町屋型賃貸アパート>と
<“泊まれる出版社” 真鶴出版 -町を歩き、暮らしを育む。小さな半島の「リローカル・メディア」実践->である。

「欅の音terrace」は既存賃貸アパートの改築である。それまで駐車場だった場所を1メートルほど持ち上げて、住宅の床レベルと同一レベルの大きなテラスをつくる。それだけで玄関とテラスが一体になってテラスがそこに住む人々と周辺地域社会の人との共有の場所のようになる。このテラスが正にその言葉の正確な意味でのパブリック・スペースなのである。そしてそのテラスに面した玄関は透明のガラスがはめ込まれた木サッシュの扉、その内側には小さなお店になるような奥行き1.5メートルの「閾空間」。二階部分も同様に「閾空間」が用意されている。最終審査直後の土曜のある日、実際に訪れてみた。テラスは沢山の近隣の人たちで賑わっていた。目の前にある小学校の生徒が三人でそこに小さなお店を出していた。二階の小さな洋服屋さん「atelier SAM」で店番をしていた住人のYahikaさんが「ここにいると何でもできそうな気がする」と言った。それで改めて気がついた。「LOCAL REPUBLIC」は「自由な空間」をつくる活動だったのだ。「自由な空間」は周辺地域社会の人々のための空間(パブリック・スペース)と共につくられる。

真鶴は魅力的な場所である。美しい景観、起伏に富んだランドスケープ、背戸道を歩く楽しさ、穏やかな気候、港近くの寿司屋で食べる魚が旨い、酒が旨い。それでも年々高齢化が進み、居住人口も減少しているという。そこで立ち上げられたのが「泊まれる出版社」である。「背戸道」とは斜面の街を隅々まで覆う細街路である。その背戸道に面した「出版社兼宿泊施設兼ショップ」である。古い住宅を改築した佇まいが背戸道に良く合っている。隅々まで気を配ってデザインされている。ここで彼らは町歩きツアーのガイドをし、訪れる人は干物屋さんや酒屋さんに立ち寄り住民の人たちの暮らしを体験することができる。そして移住を希望する人と地元住民とを繋ぐ窓口にもなる、というような幅の広い「LOCAL REPUBLIC」活動を展開している。その幅の広い活動は、実際に移住者を増やして、その移住者がそれぞれにお店を開いているという。来街者が増えれば居住者の生活も刺激される。街が活性化する。最後はそうしたきめの細かい取り組みが、審査員の評価を勝ち取った。「欅の音terrace」との差は僅差(五人の審査員の票は3対2)だった。真鶴には「美の基準」という条例がある。バブル期のマンション建設反対運動から生まれた条例である。そうした条例がこうした活動の後押しをしている。条例は個々の建物の「美の基準」を決めているが、「泊まれる出版社」の活動はその建物と建物との間の「美の基準」を決めようとしている、と審査員の北山恒さんが言った。それこそ「LOCAL REPUBLIC AWARD」の主旨である。

もう一つの優秀賞は<@カマタ:地域資源を繋ぎ合わせ、ものづくりと生活が一体化したまちへ>である。居住と町工場の活動が混在していることが蒲田の特長だが、町工場と言ってもその技術力は半端ではない。IT機器だけではなくて、自動車部品や様々な機械類の隙間的な部品をつくって正に世界の精密部品工場になっている。でもそれが外からはなかなか見えにくい。居住者、特にマンション住人と町工場との関係も難しい。工場が外に向って閉じているせいで、町全体がなんとなくグレーなのである。「@カマタ」の活動は、そうした難しい環境の中で蒲田の街のコミュニティーを今後どうつくって行くのか、その試みである。 高架下をものづくりの拠点に、そして空き倉庫を展示スペースに、集合住宅の一階を工房やシェアオフィスにする。そして木造密集地に空地をつくる。そうした活動を実際に行うことによって蒲田に住む人々のコミュニティーは現実的に活性化している。それが「@カマタ」のプレゼンテーションだった。2014年から始まるその活動は素晴らしい。多くの審査員の一致した意見だったが、その審査員の一人のジョン・ムーアさんが「緑が少ないねえ」と一言つぶやいた。それはプログラムが空間化される時の、その手法がちょっとドライ過ぎないかという批判のようでもあった。「@カマタ」に限らず、「LOCAL REPUBLIC AWARD」の決め手は空間である。その建築空間がどのように見えるのか、その建築が「LOCAL REPUBLIC」のシンボルになるためにはどのような建築だったらいいのか。最後に問われるのは、そのシンボル性ではないかと思う。

審査員特別賞
山本理顕賞

<家劇場 -足立区千住、築80年の平屋で営むわたしのプロジェクト。->

山本理顕賞は「家劇場」である。千住の細街路に面した築80年の民家を改造して地域社会の人たちにお披露目する。改築の模様をお披露目する。「私が住みます」いう、私のご挨拶のお披露目。「私のお誕生日会」という持ち込み企画を実行。「お家カレー祭り」。「お家マルシェ」。「残暑な夜のお化け屋敷」。「小さな和室の音楽会」では、自らのダンスのお披露目。家全体が劇場なのである。 倉庫だった場所を改築して小さな離れになっている。そこが受付になり、マーケットの場所になる。「地域社会の人たちと共に住む」というのはこんなにも楽しいことだったのだ。たった一人で、「LOCAL REPUBLIC」をつくってしまった。

北山恒賞

<やどまち~宿を通した京町家の社会的な課題への取り組み~>

「やどまち」は京都の町家を再生し宿泊施設とする取り組みである。観光需要が急増している京都では町家は重要な観光資源である。そこで、町家は民泊に改造されて周辺の住人とトラブルになっていたり、取り壊されてホテルやマンション開発の対象となる不安定な状態にある。この「やどまち」は、ファンドを募った「特別目的会社」を運用会社として、住人の居住を継続しながら、町家を改修して宿泊施設にコンバージョンするものである。すでに7棟の実績を持っているという。利益最大化を求める資本に対抗する社会システムを構築していることが高く評価される。そして、このシステムは京都だけでなく日本全国の既存の都市組織に対応できることが重要である。数年後には街並みを守りたい日本中の地域で沢山の実績をつくってほしい。

陣内秀信賞

<梶賀のあぶり場>

農業以上に厳しい状況の漁業の現場に一条の光が注ぐ。舞台は人口180人の尾鷲の漁師町。そこに自然環境、歴史、伝統を活かした新たな経済・文化の活動の拠点が生まれた。売り物にならない小魚を伝統の技で「梶賀のあぶり」としてブランディング化に成功。浜の海女小屋を増築+改装した加工場は、入江の奥の絶妙なランドマークとなった。様々な人の協力で株式会社がつくられ、持続性も見込める。働く地元女性たちの笑顔が印象的だ。美しい入江を望み背後に急峻な山が迫る斜面集落の景観は実に魅力的で、この「梶賀のあぶり場」を中心に食と滞在を楽しむ新たな観光が芽生える可能性に期待したい。

ジョン・ムーア賞

<大山初里 origin villa >

建築とは未来を創造することだ。今日、我々がつくる空間が、明日を構築していく。そして、これからの経済活動はローカルが基盤となる。都市に経済や利益を集約する時代はもう終わりだ。地元で交換し合える場を提供することこそ、次の時代を切り開く道である。 Origin Villaは、残された家屋の建材をそのまま使い、文化的建築様式を生かして美しい交流の場を創出した。地元の人々にも建造物にも溶け込むかのように。たとえ、人間や動物が絶滅したとしても、この場所は山々に息づく微生物や水のごとく、地球に包まれるように存在し続けるであろう。なによりも、地元の食や文化の共有スペースになっただけなく、地元の人々は新たな職や美を手に入れ、訪れた人々には素晴らしい経験を与える地域の宝となった。ヤギの糞を掃除することから、地域経済が生まれ、地域社会の意識が向上していく。LOCAL REPUBLIC AWARDが国際的な動きとなることを予見させる良い事例である。

広井良典賞

<URBAN OFFSET>

まずUrban Offsetというコンセプトを印象深く受け止めた。環境の領域で言われるカーボン・オフセットをもじった表現だが、これからの建築や都市、地域のありようの軸になりうる理念と思う。このプロジェクトが進行している千葉県市原市の南部~臨海部は、高度成長期を中心に京葉工業地帯の工場群を中心に人口も増え、“栄えた”地域だが今は衰微しつつある。かつて製造業で興隆した都市や地域をどう転回していくかは日本中の多くの地域が抱えるテーマで、それに建築や住まいがどういった貢献ができるかは普遍的な課題と言える。そういった思いから本プロジェクトに期待している。

中野善壽賞

<文化を紡ぐまちのみそ屋 -変わらないこと、変わること、つなぐこと->

既存のビジネスと伝統の保存を無理なく並立させた好事例。明治元年創業の歴史ある企業が、醤油製造、味噌の製造販売と形を変え、伝統文化の継承と地域活性化という新たな課題に挑戦している。特産物をブランディングするだけの事例は散見されるが、五味醤油では蔵を解放することで住民の伝統文化理解を促進し、第三者のcafeを誘致するなど持続性を感じられる取り組みをされており、地域と共創しながら発展していく姿勢が高く評価できる。交通量が多く視認性の高い角地の特性を活かし、アイコンとなる建築物を配置して注目を集めるアイデアは良く、今後はより本格的な建築デザインを全体に施していくことで美術的な評価もできるプロジェクトとして一層の発展を期待したい。

佳作

<furusatto (フルサット)>

新幹線の駅が突然出来た。中心地から離れた位置にできるいわゆる新駅である。何もない駅前にコンテナが一つ置かれる。これから何かが始まる期待感を持った象徴的な風景が素敵だった。その後、店舗やイベントの増加とともにコンテナは増え、放射状に並べられたコンテナを同心円上に繋ぐように、この地域に親しまれる雁木が挿入され、豊かな活動が生まれつつあるという。出張族にではなく、この地の住民たちへの目線が具体的に見えると良かった。

<西葛西APARTMENTS-2 ~芽吹きつつあるローカリティの土壌として~>

特徴の見出しにくい新しい住宅街のなかに、地域住民のよりどころをどのようにつくりだすか。多用途を複合させた集合住宅のハードとしてのデザインに、運営というソフトデザインを連動させる方法が評価された。いわゆる雑居ビルは個々のプログラムが分断されているが、西葛西APARTMENTS-2では、外部空間や縦動線を絡めながら、多用途が融合するデザインとなっている。上階の様子をもう少し知りたかった。

<動く学生街 -拠点を中心にした様々な"小さな起業"が生む大きな循環->

近畿大学の学生・OB達による起業支援の取り組み。やってみたいと考えている「人」と、ノウハウを持っている「大学」、地域にある「場所」の3つを結びつけ、小さな起業へと背中を押す。そしてその起業の連鎖が、地域を引っ張る大きな循環へと繋がっていく。大学の活動が地域社会と一緒にあることを、実際の活動として示している点が評価され、今後の活動の継続に対して大きな期待感を抱かせた。

<じぶんたちでつくるまち「常滑」をみんなでつくるために>

先代から継いだ生業の資源(技術・資材・空間)を活かし、次世代の産業として発展させる。デザイナーやアーティストと協働した製作、常滑のまちづくりとしての設計活動、地域に根ざしたまちづくりへの取り組みはどれもが素晴らしい。ただ、それらの活動に参加する人たちのまとまり方や、どのように活動を持続しているのかがわからなかった。その取り組みの仕組みを見てみたい。

トークイベントレポート

2019年6月9日、昨年度最優秀賞受賞者の拠点である栃木県鹿沼市・彫刻屋台展示館にてトークイベントが開催され、鹿沼市長も交えて活発な議論が行われました。その様子がgreenz.jpの取材記事になりましたので、下記リンクよりご覧ください。
取材記事(外部サイト)

座談会レポート

2019年5月11日、山本理顕設計工場に「LOCAL REPUBLIC AWARD 2019」の審査員が集合し、座談会が開催されました。今年から審査員に加わった広井氏の著書(「参考書籍」に掲載)を出発点に、コミュニティや「LOCAL REPUBLIC」に関するディスカッションが行われました。

座談会内容

<参加審査員>
(敬称略)
山本理顕
北山恒
陣内秀信
ジョン・ムーア
広井良典

(山本)「LOCAL REPUBLIC AWARD」の中心テーマはコミュニティです。賞の選定にあたって留意したのは次の4つの視点でした。
1. 自治的な活動が行われているかどうか
2. 経済的な活動が行われているかどうか
3. 活動自体に持続性があるかどうか
4. その活動が魅力的な建築空間として表現されているかどうか
この4つの視点は、一般論としてもコミュニティが成り立つための最も重要な要素なのではないかと考えられます。今日は新たに審査員のお一人として、広井良典さんをお迎えして、このコミュニティはパブリックという概念とどのように関係しているのか、あるいはプライベートという概念とどのように関係しているのか、そうした議論をしていただけたらと思います。

(北山)この「LOCAL REPUBLIC AWARD」は、これまで山本さんが進めて来られた「地域社会圏」というテーマがベースになっています。それは地域社会というハードウェアをつくれないか、人々の地域社会という生活そのものを「物化(=materialization)」することはできないか、という視点に基づいており、そのとき「建築」がそのエッジを形づくるということができます。建築が商品ではなく、私達の生活のためのハードである、という視点で地域的建築をつくろうという試みです。また、建築業界の建築賞は形態の新奇性で受賞できる傾向にあって、また大学での建築教育にも似た状況があります。しかし現在評価されるべきはもっと違うものなのでは、と考えています。建築は生活にコミットできることによって評価するべきだし、そのことを教育したいと考えています。
その際に、広井さんの本がとても参考になっています。日本はヨーロッパから近代の社会システムを輸入しましたが、おそらくプレ近代には「パブリック」や「プライベート」という考え方はなく、社会はほとんどが「コモン」という状況だったのではないか。近代以降、そこから「私的領域」と「公的領域」を分けることが始まり、それによって近代というシステムをドライブしてきた。しかし現在、その社会システムが上手く行っていないと思います。というのも、その近代という社会システムは、人を幸せにするために作られたわけではなく、マーケットのためのシステムになっているからではないかと思います。都市空間システムという視点から考えても、近代以降の東京は江戸の空間システムとは違っています。
初回のLOCAL REPUBLIC AWARDの受賞者も地方都市が多かった。地方にこそ人々の繋がりや小さな経済の例が生まれ始めていて、LOCAL REPUBLIC AWARDはそれを見つけて賞を授与します。「賞によって新しい価値をつくる」ということです。山本さんが考えた「LOCAL REPUBLIC」という言葉は、そういった新しい共同体が直感的に理解出来るネーミングだと思います。

(広井)今のお話で、本質的な部分が随分示されたと思います。
前近代から近代へと繋がる歴史の中で、とりわけ日本では戦後になってから、個人の自由が尊重される社会へと変化してきました。そこではコミュニティはネガティブなもの、という感覚があり、それがいまだに残っています。昨年の流行語にもなった「忖度」や「空気を読む」という特徴が日本の社会には良くも悪くも残っていますが、そこにはコミュニティをネガティブなもの、克服されるべきものとして扱っているという前提があります。「農村共同体」の負の側面だけが取り沙汰されている、ということもできます。
様々な国際比較でも、日本は社会的孤立度が高いことが分かります。これは近代化や戦後を経て古い共同体が崩れて、それにかわる新たなコミュニティが現れて来ていない、ということだと思います。 近代以降の日本社会を支えた単位として、「会社」と「核家族」があげられますが、それが流動化している現代において、個人が流動化しながらも繋がるような、都市型コミュニティを指向する必要があります。共同体に個人が埋もれてしまうわけではなく、個々の集団を越えて個人と個人でつながる社会が理想なのではないかと思います。
そして現在の文脈を考えると、日本では急激に人口減少社会へと移行しています。「みんなが一本の坂道を登る」ような高度成長期は終わり、すでに人口の減少は始まりました。これまでは全てが東京に向かって流れていましたが、人口減少社会では逆方向にながれると予想しています。つまり分散社会ということです。
このように、全世界共通の状況と併せて高度成長期を経験したという日本独特の文脈を踏まえつつ、これからの社会を捉える必要があります。

(北山)広井さんの三角形の図式をよく使わせてもらっています。三角形の上から順に「個人・共同体・自然」という図式です。都市は自然から個人と共同体が離陸し、現在は個人が共同体から離陸している、という説明に使っています。このような捉え方は都市社会学でも言われると思います。
広井さんのこの「離陸」してしまった関係を「着陸」させなければならないという表現がとても良いと思っています。個人が共同体に着陸して、それが自然に着陸していく、というイメージです。
この「離陸」というイメージをもつと、都市や近代は何かを「切断」するものであったことが分かります。そして建築で言うと、この切断を表現していたのがモダニズムです。モダニズムは建築の運動ですが、まさに切断する運動でした。一方、「着陸」する表現はまだ誰もしていないのが現状だと思います。

(広井)自然ということで言いますと、多少飛躍しますが、私は「鎮守の森プロジェクト」という活動を進めています。
現在の日本において、神社と寺が8万件ずつ残っているそうですが、コンビニは6万件程度だそうです。コンビニよりもずっと多いことに驚かされます。また、明治の初めの頃は神社は20万件あったそうです。これはそのまま「村」や「町」の数だったと考えられます。神社は狭い意味での宗教施設ではなく、お祭りやなどコミュニティの活動のための場所です。そしてそれが高度成長期に忘れられていったと考えられます。ここで言いたいのは「自然」というのは物質的な自然だけではなく、「八百万の神」という言葉にあるような内発的な力を指すと考えています。私はこれを「自然のスピリチュアリティ」と呼んでいます。ただ、「スピリチュアル」という言葉は曲解されて使われていると思います。自然は「有と無」「生と死」を越えたものとして、様々な意味での「よりどころ」のようなものである、と考えています。
鎮守の森プロジェクトで行っていることは3つです。まず1)は「鎮守の森自然エネルギー構想」です。神社と自然エネルギーを結びづける活動です。次に2)は「鎮守の森セラピー」です。自然を通じたセラピーです。そして3)は「鎮守の森ホスピス」です。現代は亡くなる人が増加しています。コミュニティというのは本来死者あるいは世代間のつながりを含むもので、死ぬこと、亡くなることは本質的な問題であり、看取りのケアと鎮守の森、を結びつける活動です。このように、自然はコミュニティとの結びつきがあると考えています。

(山本)第一次産業が中心となる農村型コミュニティには1年という時間的サイクルがありました。お祭りのような儀礼や慣習もそのサイクルの中にあり、それは広井さんの定義では時間的コミュニティということができると思います。作物の生産のサイクルが自然として解釈されて、個人もまた自然の一部に組み込まれます。子どもを産むという再生産のサイクルも自然です。注意したいと思うのは、自然と言っても、その自然はすでに共同体的に解釈された自然だということです。コミュニティというのは、自然とはどういう意味かということを解釈する主体であると同時に、その解釈された自然との関係なのだと思います。
一方、都市はマーケットにより繋がっています。つまりその「三角形の図式」は、都市型コミュニティについてはマーケットの上にコミュニティがあり、その上に個人という図式で考えることができるのではないかと思います。そして産業革命以降の近代都市においては、コミュニティが失われてマーケットの上に直接個人が載っているような図式になっている、と考えられます。

(広井)マーケットはコミュニティとコミュニティの間に生まれます。そしてコミュニティが強くなりすぎると閉鎖的になるため、コミュニティを開いていくための通路となるのがマーケットと自然であると考えられます。

(北山)ヨーロッパ近世の共同体としてコミューンやギルド、日本で言うところの入会(いりあい)は、マーケットの上のコミュニティではないでしょうか。そして近代化の過程でコミューンが崩壊します。個人が直接マーケットにさらされ、そしてそのマーケットが国家(=官僚)によってコントロールされているのが近代ではないでしょうか。
このコミューンとは「社会的共通資本」であり、それがなくなっていくのが近代です。

(山本)コミューンや入会は強い自治権を持っていました。その自治権が産業革命以降、国家権力によって奪われ、国家が直接経済をコントロールするようになりました。コミューンや入会は自治権を持った経済共同体であった、という視点が重要なのだと思います。

(陣内)イタリアを例にとると、近代に入ってから共同体の単位が大きくなっていることが指摘できます。中世都市のコミュニティとしては、職業別のギルドと教会の教区があります。ベネツィアはギルド(スクオラという)と教会が一体になっていますが、職業別に横断的につなぐ社会の共同体と、教区教会という即地的な共同体に分かれます。
日本の例でいうと、田中優子さんが指摘するように、江戸では違う立場、階層、違う業種が横に繋がっている「連」というコミュニティもありました。ヨーロッパにもない、日本的なコミュニティとして注目されます。

(山本)日本の場合は、入会とはたとえば漁業権のような権利を持っていました。いわゆる独占権です。
産業革命後は多くの人々が賃労働者になり、そうした入会がなくなります。そしてサラリーマン(賃労働者)は家族専用住宅に住みはじめます。そこでは経済活動はなく、子どもを産んで育てるだけの空間です。19世紀半ばに発明されたその専用住宅は、日本では第二次世界大戦後急激に普及します。
家族専用住宅は「1住宅=1家族」という住形式を持っています。その住宅には徹底して生産性がありません。子どもを生んで育てるための住宅です。つまりセルフケアのための住宅なのです。そうした住宅だけが集められた住居専用地域というのは、生産性のないセルフケア住宅が集まった町だったのです。高齢化によってセルフケアが成り立たなくなればその町が衰退するのは目に見えています。それは未来の高齢化・少子化、そして空き家問題を予告していたと考えることもできます。

(広井)ローカル・ナショナル・グローバルという空間的な広がりの軸があります。一方、関係性の原理として相互扶助(=コミュニティ)・マーケット(=交換、個人の利益の追求)・再分配(=公)があります。それら軸から区別してみると、もともと農村とはローカルで相互扶助型のコミュニティ。そして近代社会は空間的なユニットがナショナルレベルまで拡大します。道路や鉄道はローカルでは成立し得ない、ナショナルレベルな空間です。つまり工業化社会において空間がナショナルになりました。そしてさらに、情報化により空間はグローバルになりました。そこで今考えなければならないのは、もう一度ローカライゼーションが必要ではないか、ということです。情報化の次の社会です。物質・エネルギー・情報と進んできた、その次ということです。情報理論はすでに技術的に応用されて普及、成熟段階にきており、次の段階が見えてきている。それがローカライゼーション、ポスト情報化、場所、身体性、着陸といった言葉と関係すると考えられます。

(北山)そこで今の日本では、人口が減少することが前提となっている、ということですね。

(山本)地域性を支えているのが地域経済や地域ケアだとすると、国家は何によって支えられているのかという議論があります。今は、公共性を中央政府が一手に支えているという考え方が支配的になっています。つまり国家が”公”を代表するという考え方ですね。
国家が“公”であるという考え方は、本来地域が担う課題を、全面的に国家に委ねるということを意味します。地域経済と地域のセルフケアに代わって、経済は国家経済になり、地域ケアは国家の福祉政策になりました。それを官僚制的に運営するというのが近代の民族国家(nation-state)の基本的図式です。“官”イコール“公”という図式ですね。
世界経済では、マーケットといっても、それは株価だけが注目される「ストックマーケット」です。人や物は見えない。そうしたグローバリズムが極端に先鋭化した社会では、目に見えるものが交換される空間はほとんど失われてしまっています。地域経済を支えていた“交換の作法”が失われてしまったと思います。その交換の作法がもともと地域コミュニティを支えていたんですけどね。

(陣内)「公」とは?という視点で考えたときに、私はアラブのイスラム研究にも関わっていましたが、調査を行っていた都市アレッポが例に挙げられます。イスラム世界では、メディーナという旧市街の中心部に「都市の中の都市」と位置づけられる公的な空間とその周辺に広がる私的な空間の両方があります。非常に分かりにくいけれど緻密に出来ていて、中心部にはモスクや市場、交流空間のような公的空間があり、その周りに私的空間があります。私的空間とは、外部の人間が入りにくい、女性や家族がのびのび暮らせる空間です。その公的な空間と私的な空間が隣接しています。そしてその中心部では、いわゆる公共権力の姿は見えません。公権力としての宗教権力、モスクは見えていますが、行政の建物は見えません。
日本でも同じようなことがありました。お城は日本の行政権力の建築ですが、江戸の都市景観を描いた絵は江戸城を描いていない。象徴としての日本橋は描いてあっても、権力とは距離を置いている、ということです。コミュニティは権力に距離を置くものなのです。しかし国家のみが公ということになると、こういった奥行きが論じられなくなります。

(山本)イスラム社会はポリスの仕組みと似ているところがあると思います。イスラム文化圏の広場はアゴラのようなものだと思います。
ポリスのアゴラはパブリック(公的)な空間ですが、それはプライベート(私的)空間である住宅との対概念です。アゴラという政治空間においてその政治に参加できるのは、ポリスの中に住宅を持っている市民だけでした。その市民の直接参加が政治だったのですが、その政治参加は今の私たちの感覚でいうコモン(コミュニティ)です。つまりパブリックとプライベートの関係においてそのパブリックな空間に参加できるメンバーが限られている時に、その関係をコモン(コミュニティ)と呼ぶのだと思うのです。パブリックな空間、コモンと呼ばれる空間、プライベートな空間がそれぞれ個別に存在している訳ではないのです。パブリック(公)とプライベート(私)との特殊な関係をコモンと呼んでいるのではないでしょうか。今の陣内さんの話は、その関係を具体的な空間として述べられたのではないでしょうか。

(陣内)先ほどの西欧の広場の例では、求心的な構造をもっていることが注目されます。都市の中心には、広場やアゴラやカテドラルが配置されます。
また先ほど言いましたが、ヨーロッパでは中世の方がコミュニティの単位が細かい、という特徴があります。ベネツィアを19世紀初めにナポレオンが支配することで宗教共同体の数が半分になりました。それは教会を廃止・統合して教区の数を減らした、ということです。近代においても、教会の意味が崩れていることが指摘できます。
ベネツィアでは15世紀〜16世紀から、ギルド(スクオラ)が強くなり、二重構造を持って19世紀まで続きます。
ギルドとは横断的な組織で、同業者の集中地区はありますが、必ずしも地域と結びついた単位ではありません。

(北山)共同体においてスケールは大事だと思います。一般に150人くらいが顔見知りのコミュニティの最適数と言われていますね。

(陣内)ヨーロッパの求心的な構造に対して、日本では京都など各地に見られる両側町など、別の構造を持っています。日本の社会は求心的である必要が無いのか、小さい単位のコミュニティをたくさん持っていて、横の繋がりがあるのが特徴です。中心を作りにくいということができます。

(山本)ポリスの中でも、豊かでよく知られたと言われるアイギナでは人口は2000人しかいなかったということです。

(陣内)ヨーロッパでは地区単位に空間を見ると、中心に教会があります。日本の場合は神社は端っこの高台にあり、神様は山にいます。自然をベースに生きているのが特徴で、自然と分かれてしまう戦略は日本には不向きだと思います。都市型と農村型のコミュニティをないまぜにするのが日本的です。
西欧でも古代のギリシャ人、ローマは自然を敬愛しました。神殿をつくり、そのオープンスペースを重視しました。トポグラフィー、トポスです。ギリシャでは自然と都市が繋がっていましたが、ローマの途中に変わっていきました。

(山本)ギリシャでは自然を城壁で取り囲んで、人工化することが重要でした。城壁(=ネメイン)の内側が法(=ノモス)の及ぶ都市でした。城壁=法だったのです。自然を対象化する点が、自然と同化する日本とは異なります。

(広井)普遍宗教は紀元前5世紀に同時多発的に始まっています。ギリシャ、中国、インド、中東などです。違いはそれぞれの風土であり、ギリシャと中国が似ていて、自然とも親和的です。中東は厳しい環境なので、自然と一体になるのは無理で、コントロールする発想です。インドではアーリア人が森と出会って仏教になります。ギリシャや中国は比較的中庸な風土があります。
都市の特徴として多民族性が上げられますが、日本はありません。日本には稲作の遺伝子があり、小さいコミュニティが進化した歴史があります。既存のコミュニティを越えた状況のなかで、単なる回帰ではなく個人をしっかり立てたコミュニティが求められます。

(山本)かつての共同体は閉鎖的であったと誤解されることもありますが、中世都市の交流範囲は非常に広かったのです。11世紀には交易の範囲が、ベネツィアからシャンパーニュ地方のトロワそしてバルト海沿岸まで及んでいます。 その評判を聞いて遠いところから靴などの商品を買いに来たりもしたわけです。グローバルに交流する都市の中で、職人や商人はただ共同体に埋没するのではなく強い主体性を持って活動をしていました。

(陣内)現在とスピードが違うだけで、グローバルな都市はありました。
中世都市では非常に強い主体性をもった商取引を行っていたことが分かってきました。ルネサンスの時代には、個人が公を考え、芸術文化の庇護など、社会貢献を考えました。個人には何が出来るか。個人が都市や社会の公にいかに貢献するか。
日本でも、かつての旧財閥はある意味、個人の顔が見えていました。しかし高度成長期以後、法人社会になってきて、責任が見えなくなっています。

(山本)個人の自由というとき、いわゆる新自由主義的な「何をするのも自由」という意味で捉える人が増えていますが、自由という意味を政治に参加する自由という意味でとらえることが重要だと思います。何ものにも拘束されていない勝手気ままな自由ということと、政治参加の自由は違います。コミュニティが成り立つためにはそのコミュニティへの政治参加の自由が担保されるかどうか、が問題となります。

(広井)日本では「自由」=「勝手」になってしまっています。そこに公共性がないわけです。個人が独立しながらつながるという社会像はまさに公共性の話と関係しています。
公共性と共同性は別です。後者は「一体になる。同調性。」という意味です。前者は独立しながら繋がった状態です。日本社会では共同性に傾きがちで、今後は公共性のことを考える必要があります。
日本社会の課題を考えると、コミュニティのソフトとハードという問題に突き当たります。コミュニティのソフト面は、ハードに規定される。例えば歩行者のための公共空間が道路で分断されている場合など、ハードにより規定されている例です。私の場合はケアやコミュニティのソフト面を考えているうちにハードの重要性を考えるようになりましたが、逆に最近は建築や都市計画などハードから出発して、コミュニティに興味を持つ人が増えました。これからはぜひ、社会的孤立などコミュニティのソフトの問題をハードで解決してくれることをお願いしたいと思います。

(ムーア)農業では、JAがハードになってしまっています。農家が素材(麦やそば、豆などの穀物)をつくりますが、彼らは製粉機などの機械を持っていないことが多いです。そしてJAを通して、JAの値段で売るために、非常にマージンが少ない。 宮崎県椎葉村では道の駅に小さい部屋があり、そばを挽く機械があり、だれでも使えるようになっています。そこから経済をつくっている事例もあるので、いかにハードが大事かが分かります。

(広井)コミュニティのハード面という時二つあって、一つがヒト・モノ・カネの経済循環、もう一つが空間構造です。その両方が今、少ない状況です。

(山本)広井さんのように空間構造の重要性に言及する人は少数派です(笑)。社会システムが行政側によって用意されて、それに従ってハードをつくると考えられていることがほとんどです。プログラムが先にあって、それに沿って空間をつくることが当然と思われている。
しかし先ほどのポリスのノモス/ネメインの例にもあるように、城壁が先にあって、その城壁が法として認知されるということもある。古代ギリシャにおいてはハードが先にあったのです。
また、公共性か共同性かという議論については、「その共同体には公共性があるか」、という問いかけとして考えるべきだと思います。両者は対立概念ではないと思います。

(広井)私も、人間はそもそも公共性と共同性の両方を持っていると思います。その重層性があるのが人間の特徴で、たとえばそれは猿にはないものです。人間にはコミュニティとソサイエティがあり、家族はコミュニィの一つですが、そこからさらに外に開かれてつながっていく。言い換えれば、公共性と共同性があるということです。

(山本)というか、家族は他の家族との関係の中にあります。家族の起源は核家族だという意見もありますが、核家族のように見える家族にも必ず隣との関係があり、その家族と家族との関係がコミュニティという制度の原点になっています。
人間は公共性を身体化しています。つまり「ソーシャビリティ」を人間は持っています。「ソーシャビリティ」というのは仲間に対して気遣う能力のことです。

(ムーア)高知県の私の住まいのある地域では、隣人が村から出る時にはお隣さんにそれを伝えに来ます。最初は驚きましたが、今は普通です。隣人がいないと心配します。それはマンションにはないことだと思います。

(山本)マンションはハードとして、ソーシャビリティを毀損させるように設計されていますからね。

(北山)私が考える間違いは、人々の「ニーズ」と「ケア」が先にあって、それに合わせてハードを作ると思っている点です。また、本当はそこに「ソーシャビリティ」があることが前提ですが、そこを「マーケット」が置換してしまっているのが現在です。

(山本)個人は家制度やギルドなど、何かに帰属していて、近代以降は家族への帰属という側面が非常に強まっています。ではこれからは個人はどこに帰属するのでしょうか?その帰属先を自分で決められる、ということが重要なのではないでしょうか。国家主義者は皆国家に帰属すべきだと言いますが。

(広井)憲法は、いわゆるリベラリズムの思想を代表していて、とにかく個人とその自由が重要と規定されています。そこに「コミュニティ」の概念はありません。憲法は良くも悪くも近代を象徴しています。
リベラリズムとコミュニタリニズムの対立がありますが、戦後の日本の文系の世界では前者が強く、コミュニティを避けてきました。

(山本)建築の世界も同じです。住宅計画の際などにもコミュニティという言葉を避けてきました。
現代はエゴイズムと国家主義との対立という不幸な状況になっているのではないでしょうか。一般にリバタリアンはエゴイズムだと思われています。一方、国家主義者はそれが間違っているとしても一応国家という共同体の理念を持っており、彼等は個人の自由をエゴイズムと言って批判します。
個人を「何にも帰属しない自由な個人」と想定した途端、エゴイズムしか残らなくなってしまいます。これからの社会において、「コミュニティに帰属する個人」ということをもう一度考えていくことが重要だという広井さんのご意見に賛成します。

(北山)まさに「着陸」ですね。

(陣内)帰属するコミュニティには、場所的なものや空間的なものなどいくつかベクトルがありますが、その自由度は持たせないといけません。

(広井)私が「コミュニティ醸成型空間」と呼ぶ空間、たとえば自動車が規制されて歩いて楽しめる空間などが重要になると思います。空間はコミュニティ感覚に影響すると思います。

(北山)建築は商品にしてしまうと、人を切り離すものになってしまいます。ハードによって人々を切り離す建築と、接続させる建築、現在の建築家もその二つのグループが分かれていると思います。

(山本)近代化の過程において、建築の発注者と使う人が分離されてしまいました。実際に使う人が発注者になることは公共建築においてはまずありません。

(北山)例えばエリアマネージメントという組織において、事業者がそこには入っているが、市民が入っていません。

(陣内)近代化にたいする批判として、欧米ではエコロジカルプランニングが60年代に登場し、自然と人間が一体になった概念がある。近代に対して反省し、自然と人間が本来の関係を取り戻すということがテーマになっています。
他にもジェイコブズが混在しているけど活力があり、サステイナブルな都市を提唱しました。「建築家なしの建築」を書いたルドルフキーもいます。この「近代を疑う」動きの中で、日本は様々に参照されましたが、自分達はそれを議論の対象とは出来ませんでした。
この三角形の図式の中に、「歴史」を入れると良いと思います。自然とコミュニティともに関わるのは、歴史とエコロジーです。個人にもコミュニティにも関わっています。
日本はアメリカからコンビニを取り入れましたが、現在アメリカには24時間営業しているコンビニはありません。近代化を進めるにあたり、どこかでチェックしないといけないと思います。評価の物差しが「便利さ追求」の1つしかない。それが非常に問題です。
日本では便利さを追求するあまり、無批判なスプロールを繰り返し、中心市街地をすっかりダメにしてしまいました。ヨーロッパは60年代、中心市街地に車が入ってきたときに、反省をしました。オイルショックの時にローマのポポロ広場から、車追い出す社会実験が大成功し、それが継続しています。ベネツィアには車が入っていませんでしたが、それがヒントになりました。日本は無批判に発展した結果、みんな郊外の大規模商業施設ですごして楽しい、という情けない状況になりました。

(ムーア)高知に「ひろめ市場」という良い屋台村があり、皆、家族でよく行きます。先日、高知にも蔦谷書店ができで、そこは新しい「ひろめ市場」のように作られている。車で行けて、おしゃれで格好いい。ブランドや食べ物のある本屋さんです。子供の遊び場もあり、代官山にあってもおかしくない。
でも、いまある文化でレベルアップしたような居場所は、使い方がわかるし、うまくいくと思います。

(広井)人口減少の時代は、高度成長期の発想を根本から変える必要があります。すでに各地で変化は起きていると思います。若い世代を中心として、ローカル志向や地域密着の感覚が高まっています。
私が中学生のころ「木綿のハンカチーフ」という曲が流行り、大都市に人が流れていきました。今、その逆の流れがおきています。
戦後の日本では、村を捨てる、町を捨てる政策を立てました。ヨーロッパでは60年代から食糧自給率があがっている一方で、日本は下がり続けています。無批判にアメリカの郊外ショッピングモールを目指してしまいました。日本の都市の空洞化は政策の失敗ではなく、成功であると思います。しかし人口減少社会において、そういう方向ではない兆しが出て来ています。

(山本)今の日本の生活空間は、国家的な経済戦略のために相当に傷つけられているというのは、今までの議論でも明らかだと思います。それは地方自治が傷つけられているということだと思うのです。市町村レベルの自治は、中央政府によるグローバル経済最優先政策のために独自の政策が実行しにくくなっているのがすでに実態なのです。
平成11年の市町村合併のために今や市町村自治体のような基礎自治体の数は極端に減少しています。3229あった自治体は1730にまで減少しています。ちなみにフランスではコミューンと呼ばれる基礎自治体の数は3万6569もあります。人口1800人に一つの割合です。日本は7万3000人に一つです。もはやそれは基礎自治体とは言えないと思います。日本は中央集権国家的体制ができあがっていると言ってもいいほどなのです。
それでも地域で頑張って活動している人たちがいます。その町に住んで、そこで独自の生業をつくりだして、小さいけれども独自の経済圏をつくろうとしています。今の地方自治体よりももっと遙かに小さな手作りの自治活動です。その場所に固有の経済活動を行って、そこに住む人たちがお互いに経済的に助け合うことができて、自分たちの行うべきことを自らの責任において行うことができるということが、その本来の意味での自治活動だと思います。そうした活動を支援したいと思います。それが「LOCAL REPUBLIC AWARD」です。